王者とは何だったのか
現在、欧州選手権真っ只中ですが(正確にいえば全米もノービス始まってますけども)、
プルシェンコ選手が久しぶりに公式試合に登場し、そしてもっと久しぶりに転倒しました。
私にとってプルはちょっと特別な選手です。
ちょうどフィギュアスケートにはまったのはヤグプル時代真っ只中の事です。
1999/2000のシーズン、学校の友人に誘われて見ていたN杯中継で圧倒的な強さを誇っていたのが彼でした。
そこから転げ落ちるようにちょうど兄と同じ年齢だったプルに夢中になり、フィギュアに夢中になり、翌年には模試の結果と引き換えにGPFへ親に連れて行ってもらいました。
彼は私にとってはじまりの人であるのです。
最大のライバルだったヤグディンが引退して、彼は一人取り残されてしまったように私は感じていました。
2位以下の選手とは圧倒的に分厚い壁で区切られた場所に、彼は一人で佇んでいるように見えていました。*1
もちろんその時期は彼が怪我で非常に苦しめられていた時期でもあります。(現在もそうであるように。)
トリノオリンピックを圧勝した後、プルはこのまま引退するのだと私はファンとして覚悟していました。
しかし3年後に戻ってきて、バンクーバーで再びメダルを手にしました。
バンクーバー時の私の心境は非常に複雑です。
2006年から2009年の間、『いつか競技復帰したい』と言いつつけれどもうしないだろうと勝手に私は思いこんでもいました。
自由に楽しそうにショーで滑っているプルが見ていて楽しかった。
そして、ちょうどその間は競技としてのフィギュアスケートはさらに方向性を微妙に変えながら、より基本により複雑に進化していったと思っています。
エレメンツやGOEという言葉を私たちファンすらよく言葉にするようになり、TRの複雑さやステップのエッジの深さに見る方も注力していった時期だと思います。*2
復帰後の彼の『試合としての演技』を見て、正直この人は時代に取り残されてしまったと感じていました。
実際には銀メダルを取りましたので、勝てなかったというわけではありません。
それでも、ステップで反対回転を行う時にガクっとスピードが落ちる様子や、各エレメンツ間のつなぎの薄さに2010年時点の他の選手との違いを感じずにはいられなかった。
そんなむなしさと、また競技モードのプルが見れて嬉しい気持ちと、これ以上体に負担をかけてほしくない気持ち…。いろんな気持ちが混ざり合っていました。
それ以上に複雑だったのが、試合後に彼を持ち上げすぎる一部のファン達です。
まるでジャッジ批判の象徴のように言われ、クワドを跳ぶことこそが正義のように言われ、*3自分の好きな選手を褒め称える為の間接ツールに使われ…。
今回、また休養期間を得て欧州選手権に戻ってきた*4プルシェンコは、SPで転倒し6位となりFSは棄権*5となりました。
私は4回転が跳べるからプルが好きなわけじゃない。優勝できるから好きなわけじゃない。
プルシェンコが氷の上に立っていてくれれば、それだけで好きなんです。
それを改めて感じた欧州選手権でした。