All need is LOVE!

アイドルを斜めから観察してます。

Are you ready for the monsters?

今日、家に持ち帰ってきた仕事をしながら、のど自慢を見ていた。ゲストは北島三郎さんとSMAP。今年はのど自慢60周年ということで、慎吾ちゃんが司会に抜擢されている。アットホームな雰囲気な中でニコニコといつの通りの慎吾ちゃんをぼんやりと見ながら、私はまた田口くんのこと、それから慎吾ちゃんのことを考えていた。

 

脱退発表があった日、私は森君ラストのスマスマ動画を繰り返し見ていた。田口君の決断に対する話題を見かけるたびに、私はSMAPのことを考えた。泣きじゃくりながら「今まで本当にどうもありがとう」と言った中居さんを、「TVの前で、教室の引出の中で、森のことを応援してくれた人に恥じないように」と激を飛ばした拓哉さんのことを、美しく涙を拭いながら「参ったな」と俯いた吾郎ちゃんのことを、「森君の人生はこれから始まるから」と必死に言葉にしたつよぽんのことを、そして「やっぱり淋しいですよね」と言葉に詰まりながら言った、吾郎ちゃん復帰の時に「すっげぇふざけんなって何度も思った。でも4人のSMAPは凄い淋しかった」と言った、つよぽんの事件の後スマステで泣きながら謝罪した、27hTVでこれまで何度も解散の危機があったと口火を切った、慎吾ちゃんのことを思った。

 

私は何度か、慎吾ちゃんと田口君は似ているなと思ったことがある。彼らは数少ない天性のアイドルだと。*1恵まれた肢体と、誰をも虜にするような笑顔と、天真爛漫なキャラと相反するように簡単に本心を見せてくれないところが似ていて、TVで彼らの笑顔を見かけるたびに「この人たちはアイドルになるために生まれてきたんだなぁ」と思っていた。でも、天性のアイドルなのは『外側』の話であって、『内側』がアイドルに向いているかどうかは、また別なのだ、きっと。

 

私は、慎吾ちゃんより全然年下だけども、時々たまらなく【SMAPの慎吾ちゃん】の存在がたまらく切なくなってしまうときがある。切ないとも違うかもしれない。なんとも言えない気持ちが押し寄せて、胸が苦しくなって、泣いてしまうことがある。

例えば、「24時間、TVカメラが側に会っても平気」と本当に何でもないように言ったとき、「TVで応援してくださいって言っているのに、プライベートは話しかけないで下さいっておかしいでしょ」と普段でもSMAP/慎吾ちゃんでいる決意を笑顔で言ったとき、黒兎が見えると言ったとき、いいとも最終回SPで『辛くても苦しくても笑っていいかな?』って言ったとき、自らをスーパービジネスアイドル、アイドルモンスターと自称したとき。私はTVのこちら側で笑いながら、同時に泣いてしまう。

 

いいとも最終回の時については、その時に記事にした。

 

need10ve.hatenablog.com

 

その中で着ぐるみの【SMAPの慎吾ちゃん】から本当の【中の人・香取慎吾】が表に出来たと書いている。最近、その「中の人」の部分であった暗い部分、光り輝く明るくていつも元気な皆の慎吾ちゃんの代わりに積もっていった部分すら、一つのキャラとしてビジネスとして切り離してメディアに載せ始めている香取慎吾は、これからどうなっていってしまうんだろう。

 

あと1ヶ月ちょっとで39歳を迎える慎吾は、もうあの世界以外に居場所など無いととっくに腹をくくってしまっているだろうけれど、時々、ただの男性としての香取慎吾の人生をあげたくなってしまう。そんな事が出来る力も、そんなことを望む権利も私には無いのだけれど。

 

以前、Twitterで「慎吾は憐れだ。可愛そうだ。でも、誰よりも私たちが彼を可愛そうなどと言うことは出来ない」という意見を見かけた。

そうなのだ。毎日メディアに出ていつでも笑顔で明るくてそんな慎吾ちゃんを求めて作り上げてしまったのは、他でもない私たちファンなのだ。それどころか、欲深い私たちは「本当の慎吾ちゃんを見せて」と言って彼がこっそり持っていた部分すら白日の下に引っ張り出してしまった。

 

スーバービジネスアイドルモンスター・香取慎吾を作ってしまったのは、他でもない私。

 

田口君はあと数ヶ月、きっと自らの理想のアイドルを演じきって去っていくのだろう。

では、来年25周年を迎えてなお、20年前と変わらない仕事量をこなし私たちの前にトップアイドルとしての姿を見せるSMAPはいつまで「辛くても苦しくても笑い」続けなければいけないのだろうか。欲深い私は、いつまでそれを求めてしまうのだろうか。モンスターと呼ばれるべきは、私ではないだろうか。

*1:拓哉さんは天性のスターだけど、天性のアイドルではないかなと。