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アイドルを斜めから観察してます。

エリザベート@帝国劇場 7/16 ①

仕事を早退して、帝劇でエリザベートを見てきました。

これまで宝塚版は星(初回)と宙を映像で、東宝版を10年ほど前に見た程度です。

でも宙版はそれこそ実家でビデオが素切れそうになるほど見てました。

それでも、今回凄く目からうろこというか凄く新鮮な気持ちで観劇しました。それは新演出版だからなのかもしれないし、新キャストだからなのかもしれないし、花總まりさんが出ているからなのかもしれない。とにかく凄い衝撃で、これはぜひとも書き残さなくては寝れないと思ってとにかくメモ代わりに書いています。メモ代わりなのでいろいろ説明とかスッとばし。

 

まず舞台セットからしてとても退廃的。この物語が既に失われた国、亡くなった人、朽ちた世界でのものなのだと視覚から訴えてくる。

そして亡者たちが蘇り、死もやってきて口々にエリザベートのことを歌い、それにつられるように出てきたエリザベート=シシィは最初はまるで人形のよう。それがルキーニに猟銃を渡されて初めて命が吹き込まれ、生き生きと動き出す。

ここでまずハッとした。もう何度も見ているのに、これは『ルキーニが語る物語』といことを初めてちゃんと認識したというか。

 

次にハッとしたのはシシィとフランツの関係。これは役者によるのかも知れないけれど、今回の花シシィは本当にフランツのことが好きだったのだと思う。『あなたが側にいれば』で歌った通り、きっと本当にフランツと二人で自由に夢を描けると心から信じていたのだと思う。反対にフランツは義務のために自分を殺すのを当たり前だと仕方がないことだと思っていて、シシィがいう「自由」は可愛い絵空事に思えたんだと思う。だけど皇室に入ればシシィだっと当たり前に義務を最優先に考えてくれるだろうと。

自由に生きるのが当たり前だと信じているシシィと義務を果たすために生きるのが当然だと思っているフランツ。愛し合っていても、相容れない二人で、でもお互いに本当に愛していたからこそあんな悲劇になってしまったのだと思う。ネックレスを付ける場面で、シシィは勿体無いと言いながら笑顔で本当は贈り物を喜んでいる。でもつけた途端に笑顔は消えて「とても重い」とつぶやく。

 

そして、フランツと自由に生きられると思っていたシシィにとって、どんなに頑張っても個人の感情なんて飲み込んでしまう大きすぎる「皇室」という存在はきっとカルチャーショックだったんだろう。絞り出すようにつぶやかれる「嫌よ」の切なさ。そして、今回またハッとしたのは『私だけに』の「冒険の旅に出る 私だけ」の部分。これまではどこか嬉しそうだったり力強く歌われたりすることが多い箇所だったけれど、今夜の花シシィは淋しそうだった。彼女はきっと、前述のとおりフランツと行くことを夢見ていた。でも行けない。冒険に出かけるには一人ぼっちになっていくしかない…。きっと彼女はあそこで気づいてしまったのだ。だからその後の間奏でなりふり構わず彼女は壁を登り双頭の鷲に立ち向かおうとするけれど、かなわず滑り落ちてしまう。それでもなお真っ直ぐに前を向いて飛び立つことを宣言する。

宝塚版では私だけにの前に、シシィが自害しようとするシーンがあるけれど、東宝版は無い。きっと東宝版の私だけにで歌われる「命」は生命ではなく魂の方なのだと思う。

 

そしてトートとの関係。

ここでまたハッとしたのだけど、三色のドレスシーンの後、左右の階段を下りながら向かい側からくる相手をトートもシシィも真顔で見つめている。シシィにいたっては真顔ですらない。何の感慨もない表情だった。きっとこの時点でシシィにとってのトートは「たまに夢に出てくる怖くて変な人」の認識だったのかも知れない。それが娘の死によりはっきりとした憎悪の表情でトートを睨み付ける。それを受けてトートは本当に嬉しそうに笑う。ちゃんと自分を見てくれて嬉しかったのか。

だからこそ、2幕のルドルフ葬儀のシーンでトートはシシィを拒絶する。実はずっと疑問だったの、ここまで自分で追いつめておいていざ死のうとすると「まだ私を愛していない」と拒絶する。でも今回で分かった。あの時シシィはまたトートを見ていなかった。彼女が見ていたのは追っていたのはルドルフだけだった。だからこそ彼女の望みをトートは拒絶したんだろう。

 

 

もっともっと語りたいけれど、とりあえずこの辺で。