All need is LOVE!

アイドルを斜めから観察してます。

私の知ってる彼女の話

1日遅れてしまいましたが、お誕生日おめでとうございます。

何度も書いていますが、私はあなたの仕掛ける仕事が本当に大好きだった。あなたがしたことはただのアイドルの仕事を調整することではなく、新しい価値観そのものを生み出す事だったのだと思います。あなたのそのセンスがあれば、新しい場所でもきっと成功を収めるだろうと思っています。

願わくば、今日も明日以降も幸せに過ごせていますように。そしていつか、とても大事に育ててくれた息子たちと笑いあえていますように。

 

 

そんなこんなで、私の知っている彼女の話を書いてみました。

実際に自分で見聞きしたのはわずかで、ほとんどがネットや知人から知った情報のため、真偽があやふやなものも含まれていますが、それでもやはりこういった形でまとめることが今の私にとっては必要なのです。

 

 

・ 元々は事務員で、社内で書類作ったり電話番したりしていた

・衣装を支給してもらえなかったとき、古着屋で6人分のお揃いの服を買って彼女が手縫いで飾り付けをして仕立て上げた*1

・ 森くん最後のコンサートツアー、オーラスだった札幌にて、思い出に皆でホテルを抜け出して遊ぼうと画策したのを勘づく。中居を呼び出して「バカなこと考えないでよ。慎吾はいくつだと思ってるの。(ちなみに慎吾まだ10代)」と叱るがやんちゃ盛りのメンバーは当然聞き入れず、結局中居が囮になってホテルから抜け出し、ボーリングで遊んでしまう。明け方に帰ると一睡もせずに待っていた彼女が廊下に立っていて、そのまま2TOPは廊下に正座させられて叱られた。

・ 森くん最後の仕事日に出待ちしていたファンに「今日で最後だから皆で花道つくろう!」と呼びかけ、その場にいた100人ほどのファンに花道を作らせてくれた。

・木村27歳の誕生日プレゼントにグッチの小物をプレゼント。「えーマジでー!ミッチー悪いって~グッチなんて~サンキュー!」と喜んで開けたが、謎の赤い袋に「???」となったところ、コンドーム入れだった。

・ワッツでKANSHAしての発売を記念した「大ガ●シャ祭」を放送。後日、企画した鈴木おさむへ電話して「やっていい下ネタと駄目な下ネタがあるでしょう!大顔●はダメ‼」と半端なく叱った。(が、鈴木は『うわー電話口で言っちゃったー』と思ってたらしい。その後もワッツの下ネタは止まることを知らない状態で続いてますw)

・トマト生活中の木村に「あれあれ~拓哉なんか疲れてない~?どうしちゃったのかな~?」とわざとからかってきた。負けず嫌いの木村はこれで「別にまだやれるし!」と火がついた。

・酔っぱらってホテルの人に水をかけてしまった中居(本人は記憶なし)。翌日「あなた、ホテルの人に迷惑かけたらしいわね。謝りなさい!」と叱り、「ごめんなさい」と中居が言うと「相手は私じゃない!ホテルの人に謝ってきなさい」とさらに怒った。

・ 泥酔状態の慎吾がホテルのプールで泳ごうとしたので、「あんた今泳ぎにいったら死んじゃうわよ!」と泣きながら止めて、そのまま絶対に泳がないと指きりげんまんをした。(慎吾曰く「ホテルの廊下で水着きて、しかもこの歳で指きりげんまんって・・・」)

・急遽、飛行機に乗らなくてはいけなくなった中居があちこち電話しても席が取れず、彼女に相談したところすぐにチケット手配してくれた。なんで出来たの?と聞くと「あなたね、どこのCM出てると思ってんのよ!*2」と言い捨てて電話を切られた。

・ 木村の映画「2046」の撮影で香港滞在中、外を出歩けなかったため彼女に買い物を頼む。バックストリートボーイズのCDを頼んだのになぜか一緒にオースティン・パワーズの人形を3体買ってきていたらしい。(うち1体は木村がもらった)

・ その「2046」が撮影から公開までのスケジュールが変則的すぎて業をにやしてプサン映画祭に来ていたウォン・カーワイ監督と競演のトニーレオンのところへ直撃。木村曰く「『もう分けわかんないから確認にいく!』って月火でプサン行くってゆってました。すごくない!?」

・ 慎吾の舞台(TALK LIKE SINGING)千秋楽で急遽握手会を開催することに。屋外で始まったそのイベントで慎吾の場所より少し前に立ち、ファンに「ごめんね、寒くて。でも来てくれてありがとう。」「もうすぐ慎吾に会えるから、もうちょっとだけ頑張ってね」と声をかけ続けた。

・ユニバのXmasイベントで警備の人たちに何度もお辞儀をして礼を言っていた。

・コンサートの時、バイトの物販スタッフやセット撤去スタッフのミーティングにも顔を出し「ありがとうございます。よろしくお願いします。」と挨拶してくれる。

・ 木村の結婚予定がマスコミに漏れてしまった。慌ててコンサート会場(たまアリ)に行ったところ、顔が真っ青な木村が立ち尽くしていたため、手を握りながら「大丈夫、大丈夫」と励まし続けた。ちなみにその時の彼女もとても大丈夫そうではなかったらしく、さらに中居が2人の手を握って「俺が何とかする」と励ましたらしい。

・ 剛の事件を報道で知って(なぜか事務所は彼女へ連絡せずに先に報道機関へ連絡していた)、慌てて警察署へかけつけ、剛が健康で怪我も無いことをまず確かめてから泣き崩れた。

・木村がJRAのCMに出演する際、馬に乗るシーンはCGで処理しようとしたが「うちの木村ならやれます*3」と言った。実際には落馬してしまったが、わずかでも実写映像が撮れたことによりCMクオリティは格段に上がったらしい。

・そのJRAのCMで知り合った元・電通多田琢さんに「その年のアルバムタイトルからツアーコンセプトまで全部考えて欲しい」と持ち掛けた。多田さん曰く「無茶なと思ったけど、アルバムやコンサートはSMAPにとって年に1回の広告の場。そう考えると僕のような広告の専門家に頼んだ方が面白いと判断した。レコード会社が考える売り込み方でなく、外からSMAPがどう見えるのか考えて演出したいということ。きっと確信犯。」*4

佐藤可士和博報堂から独立して事務所を作った月にもう佐藤の携帯に電話をしてきた。佐藤は「なんで俺の携帯番号知ってるんだろう?」と疑問だったそう。

・多田は電通との専属契約、佐藤は博報堂との専属契約が残っている状態で「私となら2人一緒に仕事出来るでしょう」と持ち掛けた。(それぞれ、専属外の代理店との仕事は出来ないが、クライアントとの直接契約なら問題ないという契約だった。)この2人の組み合わせを広告業界の中でも最初に考えたのが彼女だった。

・佐藤曰く「僕と多田さんの間で『これは飯島さん良いっていわなそう』と思う時は僕らもしっくり来ていない。逆にやりたい!って思うものは絶対良いって言ってくれる。」

・ グループ脱退後のソロシングルで、自分の好きな洋楽っぽいEDMをやりたがった山Pに「EDMならもうやっている人は沢山いる。自分だけのオンリーワンな曲を目指さなくて良いのか」と言った。その結果、山Pは愛・テキサスを選択。*5

 

 最後に私が会った時の情報を。

・中居がいいともの企画で出版した私服本の紀伊国屋握手会。暑い日で私が握手出来たのは開始2時間後くらい。出口の辺りでずーっとファンが通るたびに「ありがとうございました。」と頭を下げている女性スタッフがいた。後からあれが噂の彼女だと知った。細身で小柄でにこやかで、メンバーが話すエピソードのパワフルさからはだいぶ違った印象だった。

 

 

いつかどこかで、あなたの活躍をまた知れますように。

*1:ちなみに、平家派メンバーもJr.時代に衣装が無く古着屋とジーンズメイトで自腹で買ったという話をしているので、このときの事務所の経営状態そのものがやばかったのかもしれない

*2:当時、ANAのCM出演中

*3:今まで乗馬経験無いにも関わらず

*4:結果、ファンから最高傑作とも言われているBIRDMANが出来た

*5:このエピソード見ても、彼女を失ったのが事務所にとってどれだけ痛手か…